研究の楽しみ

美しい光景に出会うこと 文献からではなく、データから考える。

ゲームをやるのではなく、ゲームを作れ!

研究をしていて何が一番楽しいかと問われれば、生物の不思議を自分の眼で見ることであると答えたい。いくつかの困難を克服してそっと覗いてみると、今まで見たことのない、あっと驚くような、かつ生物学的に重要な意味のある光景に出会う。この時の興奮があるからいままで科学を続けてこられたのだと思う。前人未踏の地を探検して未知の生物に出会ったら、さぞ興奮すると思うが、現実には、仕事柄、顕微鏡下にすばらしい光景を見ることになる。

 20年以上前に顕微鏡下に見えたある光景は、現在の仕事の切っ掛けになっている。順天堂大学医学部の解剖学講座に就職して最初にやったことは、胎仔脳を抗原として、発達期の脳に特異的な分子を検出するモノクローナル抗体を作成することだった。できてきた様々な抗体を胎仔と成体の脳切片に反応させて、胎仔脳にだけ反応する抗体を蛍光顕微鏡で探していた。どんな抗体が採れてくるのかは分からないので、どのような染色像が現れるのかもまったく分からない。暗い部屋で蛍光顕微鏡を見るときにはどきどきするけれど、やっていることは全く賭け事そのものであった。

 しばらくして、やっと発達中の脳に特異的な分子(ポリシアル酸, PSA)に対する抗体が採れて仕事を始めた。発達中の脳に特異的な分子なので、当然の事ながら胎生期の脳を研究の対象とした。しかし、その分子が胎仔脳以外に発現していないことを示すためにいつも成体の脳を一緒に染色していた。そんなある時、成体の脳の中でも海馬と呼ばれる部分の一部だけ、その分子の発現が見られた。このことは頭の片隅にいつも気にかけてはいた。だが、最初のうちは正直言って深く考えないようにしていた。自分の研究が根本から崩れてしまうような気がしたからだ。そんな時、ある専門書を読んでいたら、「海馬では成体になってもニューロンが生まれている」との記述を見つけた。この現象は1960年代にJoseph Altmanによって発見されていたが、不思議なことに世の中に広く知られていない研究であった。もしかしたら、この抗体を使った染色では、海馬で生まれているニューロンが見えているのかも知れない。海馬が記憶や学習に係わる重要な部位であること考えると、新生ニューロンによって神経回路が作られている現場が見えることは、極めて重要なことだ。このことに気づいてから、もう一度海馬切片を眺めてみると、以前はそれほど美しいと思えなかったニューロンがとても美しく見えた。ある画像の意味を解明するためには、それを解析するための力量が自分の頭に備わっていなければならないとつくづく感じた。これが私の現在の仕事の始まりである。そして、それ以降次の実験のテーマは、いつもその前にやった実験の組織切片の光景の中にあった。そのようにして、つぎつぎと研究テーマが見つかり、20年以上成体の海馬で新生するニューロンの神経回路形機構を研究してきた。最近は、成体神経幹細胞の起源を知るために、胎生期の海馬を見ている。もともとの研究テーマに戻った感じがする。今から振り返れば、自分の開発したゲームで20年間遊ぶことが出来たようなものだ。そして、気がついてみるとこのゲームをやる人が世界中に現れ、臨床的な応用にも使われるようになった。

 

 サイエンスをやる人には、二通りのパターンがあるような気がする。それは、新しいゲームを作る人とゲームに参加してやる人である。新しいゲームを作る人は、新しい問題を見つけたり、それを解決する技術を見つけたりする人である。ゲームをやる人は、世界で提示された問題を正確に把握し、その問題解決に必要だと認められている技術を用いて実験をする人である。私の場合は、どちらかというとゲームを作ることに関心がある。そして、そのゲームを作るアイデアは、いつも染色した組織切片の中から生み出されてきたのだと思う。