研究概要

ほぼ100年間、成体の脳ではニューロンは決して新生しないと信じられてきました。しかし、1990年代後半になってこの考え方は完全に否定され、現在では、ヒトを含めた哺乳類の脳の一部では、ニューロンの新生が一生続いていることが証明されています。

 ニューロンの新生が続いている特別な脳の部位は、2箇所ありますが、そのひとつは海馬と呼ばれています。海馬は記憶や学習の成立と深くかかわっている部位なので、現在、成体海馬のニューロン新生と記憶・学習の関係が盛んに研究されています。また、てんかん、虚血、精神疾患などによって、海馬のニューロン新生率が変化することから、脳の障害とニューロン新生の関係を探る研究も盛んに行われています。

 成体脳のニューロン新生(adult neurogenesis)は、1960年代始めに、アルトマン博士が、放射線同位元素を用いたオートラジオグラフィー法で発見しました。しかし、その後、この発見は、ほとんど無視されてしまいました。オートラジオグラフィー法では放射性同位元素を扱わなければならない上に、新生ニューロンの検出に1ヶ月以上かかるために、1990年代始めには、世界で2-3のグループが研究を続けている非常にマイナーな研究分野でした。

 われわれは、そのような時期に、成体脳で新生するニューロンを同定する、モノクローナル抗体(神経細胞接着分子NCAMの糖鎖ポリシアル酸に対する抗体:PSA-NCAM)を作製しました。そして、成体海馬で新生するニューロンを短時間(1-2日間)で可視化し、その樹状突起や軸索を含む全体像を初めて明らかにしました。現在では、この方法に加え、トランスジェニックマウスや蛍光タンパク遺伝子導入によって、神経幹細胞・神経前駆細胞や未熟ニューロンを可視化し、共焦点レーザー顕微鏡、電子顕微鏡、海馬切片培養など様々なイメージングシステムを用いて解析しています。これらの技術を用いて、成体海馬のニューロン新生について、加齢による変化、樹状突起の発達、軸索の発達とシナプス形成、神経幹細胞/前駆細胞の分裂様式、ニューロン分化過程などについて研究してきました。

 

 最近は、海馬のニーロン新生機構を、胎生期から成体期までを視野に入れて、広範囲に研究し、成体神経幹細胞の起源についても調べています。胎生期にどのようにして顆粒細胞層を形成する神経幹細胞が生まれ、それがどのような微小環境の中を移動してニューロンに分化するのか。また、どのようにしてそのうちの一部が神経幹細胞としての性質を維持しながら、生後の顆粒細胞層に組みこまれるのかを解析しています。この胎生期から生後初期のニューロン新生機構や生後型神経幹細胞の形成機構を明らかにしない限り、成体脳のニューロン新生機構は理解できないと考えています。