研究背景1:成体脳のニューロン新生

(1)成体脳のニューロン新生はなぜ重要なのか?

 

 脳は人体の中で最も複雑な器官である。脳の中には約100-1000億個の神経細胞があり、個々の神経細胞は、特定の相手と特異的な結合をしている。他の臓器には、このような性質の細胞はない。たとえば、肝臓では、どの肝細胞をとってきても、同じ性質を持っており、ある場所の細胞を他の細胞と入れ替えても問題はない。それに対して、神経細胞は、その脳内に占める位置と他の神経細胞との結合により、それぞれが個性を持った存在である。

 このように高度な結合様式を持つ神経細胞は、成体になると新生しないと考えられてきた。すなわち、ニューロンは胎生期から生後初期にかけて新生され、その後個々の新生されたニューロンが樹上突起と軸索を発達させながらお互いに結合し、複雑な神経回路網を形成する。そして、このような高度な結合様式をもつ成体の脳では、新しい神経細胞が既成の神経回路網に付け加えられることはなく、毎日大量の神経細胞が死んでいくと信じられてきた。このような考え方から、神経科学の世界には、次のようなドグマがあった:(1) 成体の脳では神経細胞は新生しない、(2) 脳が損傷した場合、ニューロンが新生して機能を回復することはない、(3) 学習や記憶の成立過程では、ニューロンが新生することはなく、既存の神経細胞のシナプス結合が変化する。

 しかし、近年になって成体脳のニューロン新生に関する研究が活発に行われた結果、「成体の脳でも、海馬や嗅球ではニューロンの新生が続いている」との考えが認められるようになった。したがって、いままでのドグマは書き換えられ、次のようなことが考えられるようになった、(1) 成体の脳でも神経細胞は新生する、(2) 脳が損傷した場合、ニューロンが新生して機能を回復する可能性がある、(3) 学習や記憶の成立過程で、ニューロンが新生することにより、既存の神経回路を変化させる可能性がある。その結果、(2)は神経組織の再生医療に新しい光を投げかけ、(3)は記憶や学習についての考え方を根本的に考え直すきっかけを作り出した。

 

(2)海馬の構造とニューロン新生 

 ニューロンの新生は成体の脳全体で起こるわけではなく、海馬や嗅球といったごく限られた部位で起こる(図1)。これから海馬に焦点を当てて成体脳のニューロン新生について話をするが、ここで海馬の機能や構造について手短に説明する。海馬は機能的には記憶や学習の成立機構に関与していることが知られており、今まで多くの研究者の興味を引きつけてきた。また古くから情動や自律機能と深く関係していることも知られている。臨床的には、虚血やてんかん発作などにより損傷を受けやすい部位でもある。構造的に大脳皮質は、新皮質、古皮質、原皮質の3つの部分に分けられるが、海馬はその中の原皮質に属する。原皮質は新皮質より単純な構造を示すので、それぞれの細胞の神経線維連絡なども古くから明らかにされており、形態的な解析は大脳新皮質よりもずっと容易である。

 

図1 成体脳のニューロン新生部位。枠内は歯状回の拡大図。赤丸は神経幹細胞/神経前駆細胞。GCL, 顆粒細層;Hilus, 歯状回門;OB, 嗅球;RMS, rostral migratory stream;SGZ, 顆粒細胞層下帯、SVZ脳室下帯(Clinical Neuroscience 28: 1344-1347 (2010)より許可を得て転載)

 

海馬は大脳新皮質の内部に埋もれており、バナナの様な形をしている(図2)。その長軸に直交する面で切ると、歯状回の顆粒細胞層とアンモン角の錐体細胞層が見える(この他海馬支脚を含む)。U字型をした顆粒細胞層の内部には比較的大型の細胞が散在しており、この部分は歯状回門と呼ばれる。記憶情報の伝達経路としては次のようなことが考えられている。大脳新皮質のさまざまな知覚情報は、嗅内皮質を経由して、顆粒細胞層の顆粒細胞樹状突起に入力される。次に、その情報は、顆粒細胞の軸索である苔状線維によって、アンモン角の錐体細胞に伝えられる。そして錐体細胞層の情報は最終的には再び大脳新皮質に送られる。この他、錐体細胞の出力は海馬采から脳弓を経て大脳辺縁系の様々な部位に送られると考えられている(パペッツの回路)。

 

図2 A.ラット脳における海馬の位置。海馬は大脳半球の中に埋もれている。B. 海馬の神経回路。顆粒細胞(赤)は、大脳皮質からの知覚情報を、貫通線維を介して受け取る。その情報は苔状線維によって錐体細胞に伝えられる。錐体細胞の情報は、最終的に大脳新皮質に返されると考えられている。C. 顆粒細胞層の内側では成体になってもニューロンが新生している(赤丸)。( ミクロスコピア 25(2): 19-25 (2008)より許可を得て転載

 このような海馬の神経回路の中で、ニューロンの新生が起こるのは歯状回の顆粒細胞層だけである。つまり海馬の中で知覚情報などを受け取る最初の部分である。このことは海馬におけるニューロン新生の意味を考える上でも重要なポイントである。成体海馬で起こるニューロン新生の生理的意味については残念ながらまだ不明な点が多いが、このニューロン新生に影響を与える因子については多数の報告がある。例えば、ラットを豊かな環境や運動が十分にできるような環境におくと、海馬のニューロン新生は増加することが報告されている。一方、ストレスのかかるような環境に置くとニューロン新生は低下するという。海馬が記憶や学習の成立と深く関係する部位であることを考えると、このような動物を取り巻く環境によって海馬のニューロン新生が変化することは興味深い。 

 それは次のような考え方による。新しいニューロンが海馬で新生すると、その新生ニューロンが発達するときに、新生ニューロンの樹状突起や軸索でシナプスが形成され、神経回路が追加される。この時、新生ニューロンの樹状突起には、上で述べたように、周囲の環境から様々な感覚が入力してくるので、そのような感覚入力によって新生ニューロンによる神経回路形成が影響を受けることは十分に考えられる。したがって、このように動物の周囲の環境が、新生ニューロンのシナプス形成を左右することによって、記憶や学習の成立に影響を与えるかもしれない。 

 

 またこの他、てんかん様の痙攣や虚血などで海馬に損傷が起きた場合は、ニューロン新生が増加することが知られている。このことは脳が損傷を受けたときに、新生ニューロンによって損傷された神経回路の一部が修復されている可能性を示唆している。このような新生ニューロンによる修復機構を解明することは、脳の再生医療を考える上で重要である。

(3) 成体脳のニューロン新生:その発見の歴史

 

 このような考え方が広く認められるようになったのは1990年代後半からであるが、成体脳のニューロン新生が発見されたのは、今から40年以上も前のことである。その後、1990年代前半まで、成体脳のニューロン新生の研究は、鳥類やげっ歯類で少数ながら行われていたが、この事実は広く知られることはなく、つい最近まで神経科学の教科書には「成体の脳ではニューロンは新生されない」と書かれていた。いったいなぜ「成体のニューロン新生」は認められなかったのだろうか?ここで少し歴史を振り返ってみよう。

 成体の脳が非常に安定な構造を保っているという考えはすでに19世紀の終わり頃までには、当時の解剖組織学・神経解剖学の大御所であるKoelliker, His, Cajalらによって確立されていた。KoellikerとHisは、中枢神経系の組織構築を詳細に検討し、その構造は胎生期に発達するが、生後は安定することを見いだした。また、Cajalはニューロンの発達段階を記述し、成体では細胞の分裂像や発達中のニューロンが見られないことを観察した。

 これに対して、成体でも一部の脳(海馬や嗅球)でニューロンの新生が起こることは、それからだいぶ後の1960年前後に、米国の解剖学者であるAltmanらが3H-thymidineを用いたオートラジオグラフィーを使って明らかにした。その後、Kaplanらが、電子顕微鏡を用いて、成体で新生されたニューロンがシナプス結合を形成し、神経回路網に組み込まれることを1970-80年代に証明している。また、1980年代になると、Nottebohmらのグループが鳥の線条体で新生されるニューロンが、歌の学習と関係していることを示し、成体脳のニューロン新生の機能的な側面に光が与えられた。

 しかし、Rakicらが成体サルの海馬ではニューロンは新生されないとの実験結果を得、ヒトやサルではニューロンの新生が起こらないとの見解を示した。1990年代に入ると、Gouldのグループがストレスによってラットのニューロン新生が減少するとの報告をする。ここまでは成体脳のニューロン新生は3H-thymidineを用いたオートラジオグラフィーを使って研究されていたが、この方法は時間がかかる点に問題があった。また細胞の核だけがラベルされるので、新生ニューロンの全体像が把握できないという欠点があった。 

 我々は1990年代初期に、神経細胞接着分子(NCAM)の糖鎖であるポリシアル酸(PSA)が未熟な神経細胞に発現していることを利用して、成体海馬で新生しているニューロンの全体像を初めて視覚化した。この実験では増殖マーカーとして知られていたチミジン類似物質のブロモデオキシウリジン(BrdU)と、PSA抗体を用いた免疫組織化学によって、成体海馬で新生した細胞が未熟なニューロンのマーカーであるPSAを発現していることを証明した。

 1990年代後半になると、スウェーデンのEricksonらがヒトの海馬でニューロンが新生されていることを証明する。この結果の意義は大きい。この研究によって、ネズミの実験結果が下等なほ乳類の結果にとどまらず、ヒトにも当てはまる結果であるとの考えが定着した。これと同時にサルの結果も見直され、サルの海馬でもニューロンの新生が起こることが明らかになった。現在、ヒトを含めたほ乳類で、成体海馬のニューロン新生を疑う研究者はほとんどいない。

図3 成体ラットの海馬。A, 顆粒細胞層(GCL)の内側にPSA陽性細胞が見られる。顆粒細胞の軸索である苔状線維(mf)にもPSAは発現している。B、顆粒細胞層の拡大図。PSA陽性の未熟ニューロンが、樹状突起を分子層側に、軸索(苔状線維)を歯状回門(H)側に伸ばしている。C.  BrdUを投与した時に検出された新生細胞(矢頭)は顆粒細胞層の最内側に位置している。( ミクロスコピア 25(2): 19-25 (2008)より許可を得て転載)

 

(4)成体海馬の神経幹細胞と神経分化

成体の海馬歯状回顆粒細胞層でニューロンの新生が続くということは、顆粒細胞層には成体になっても例外的に神経前駆細胞が存在していることを意味する。この神経前駆細胞(神経幹細胞)の実体については長い間不明であったが、2001年にGFAP陽性細胞であることがAlvarez-Buyllaのグループによって明らかになった。GFAP陽性細胞といえば普通アストロサイトを指すが、顆粒細胞層には通常のアストロサイトとは異なるGFAP陽性細胞が存在し、それが顆粒細胞を新生する神経前駆細胞として働いている。この他、GFAP陽性神経前駆細胞には、Nestin、Pax-6が発現している。GFAP陽性神経前駆細胞の細胞体は、顆粒細胞下帯に位置し、放射状の突起を分子層に伸ばしている(図4)。この放射状グリア様細胞は、以前から加齢とともに減少することが知られており、ニューロン新生が加齢と共に減少するとの事実と一致する。GFAP陽性神経前駆細胞の分裂頻度は非常に低いが、この細胞から分化したニューロンマーカー陽性(doublecortin, NeuroD, PSA)神経前駆細胞が活発に分裂し、未熟ニューロンを盛んに生み出しているとの考え方が現在の主流である(ただし、PSA陽性神経前駆細胞の分裂活性はそれほど高くない)。しかし、最近我々は、Hu(ニューロンマーカー、RNA結合タンパク)とGFAPをマーカーとして神経前駆細胞の性質を調べた結果ところ、GFAP陽性神経前駆細胞の中には、Huを同時に発現するHu/GFAP陽性神経前駆細胞があり、その分裂頻度はそれほど低くないことを見いだした。この結果から、GFAP陽性神経前駆細胞は、まずHu/GFAP陽性増殖性神経前駆細胞に分化し、つぎにHu(又はdoublecortin)陽性増殖性神経前駆細胞になり、最終的にニューロンに分化すると考えている(図4)。

図4 A, 2ヶ月令ラットの歯状回顆粒細胞層。緑はPSA+未熟ニューロン、赤はKi67+増殖ニューロン、青はBrdU投与後3日目のBrdU+ニューロン。こららの陽性細胞は顆粒細胞層の最内側に位置している。B, クラスターを形成している神経前駆細胞には、-catenin 、N-cadherin 、PSAが発現している。C, 顆粒細胞層の最内側で、クラスターを形成している細胞1,2はGFAP, Hu,  Ki67 を同時に発現している. D, クラスターを形成している細胞1,2はGFAP, Hu, Mash1を同時に発現している. E, レトロウイルスでGFP標識された増殖細胞。E1-3は標識後3日目、E4は5日目のGFP陽性細胞である。Ki67陽性増殖細胞 1, 2はクラスターを形成している増殖細胞である。クラスターに接するKi67陰性の細胞分裂後の細胞3は、PSAを強く発現する水平な突起をもっている(E1)。 これは水平移動する細胞と思われる。クラスター内の細胞は、時々短い突起で隣接した細胞を囲んでいる(E2)。クラスターから外に水平移動しているように見えるGFP陽性細胞は、Ki67陰性(細胞分裂後の細胞)で長い突起を持つ。このGFP陽性細胞は一方の突起をクラスター内に残しながら移動しているように見える(E3,4)。(A-E: Seki et al. 2007, J Comp Neurol 502: 275-290より 改変。F: Seki, 2011, "Neurogenesis in the Adult Brain I, Neurobiology" , Springerより転載)

参考文献

 

 

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Altman J: The Discovery of Adult Mammalian Neurogenesis. (Eds) Seki T, Sawamoto K, Parent JM, Alvarez-Buylla A, Springer, Tokyo, 3-46, 2011

Seki T, Arai Y: The persistent expression of a highly polysialylated NCAM in the dentate gyrus of the adult rat. Neurosci Res 12: 503-513, 1991

Seki T, Arai Y: Highly polysialylated neural cell adhesion molecule (NCAM-H) is expressed by newly generated granule cells in the dentate gyrus of the adult rat. J Neurosci 13: 2351-2358, 1993

Seki T, Arai Y: Age-related production of new granule cells in the adult dentate gyrus. Neuroreport 6: 2479-2482, 1995 

 

Seki T, Arai Y: Distribution and possible roles of the highly polysialylated neural cell adhesion molecule (NCAM-H) in the developing and adult central nervous system. Neurosci Res 17: 265-290, 1993 

 

Seki T, Namba T, Mochizuki H, Onodera M (2007) Clustering, migration and neurite formation of neural precursor cells in the adult rat hippocampus. J Comp Neurol 502: 275-290, 2007

 

Seki T: From embryonic to adult neurogenesis in the dentate gyrus. In "Neurogenesis in the Adult Brain I, Neurobiology" (Eds) Seki T, Sawamoto K, Parent JM, Alvarez-Buylla A, Springer, Tokyo, 193-216, 2011